分析よりも大切な作曲の引き出しの正体と増やし方について

「作曲の引き出しを増やした方がいい」こんな言葉に「そうだよなー大事だよなー」と頷く人は多いです。私もそう思います。ですが、ただ単に引き出しを増やすだけで本当にいいのでしょうか?この記事では「どうすれば引き出しを増やせるのか?」「引き出しとは一体何なのか?」これらにについて具体的に説明しています。

またそれだけはなく「引き出しの中身」についてもふれているので、「作曲の引き出し」について悩んでいる人は参考になると思います。

作曲の引き出しとは?

作曲をするための引き出し…なんか出来る人のイメージがありますよね。では具体的に引き出しとは何でしょうか?いろいろな考え方はあると思いますが、大まかにわけると次の3点になります

  • ジャンルの認知
  • 手法のストック
  • ラフスケッチ(フレーズ)を含む作曲してきた数

ジャンルの認知とは「聴いてきた音楽」です。よく「たくさんの音楽を聴け」なんて言われたりしますが、たくさんのジャンルを聴くことでそれが「それが何か」というのがわかるようになります。多くの音楽を聴くことで「ジャンルという情報の違い」を認識することが目的です。

手法のストックとは、ジャンルの特徴を具体化できる文字通りの作曲方法です。クラシカルなボイシング(和声) ロックなサウンド、ボサノバなリズム、EDMの構成、などこれらが手法となります。これらは耳コピや理論書などによって学びます。

最後にそれらを合わせて出来上がった曲の数によって引き出しは構成される。というのが大体の認識でしょう。これらを「聴いてもらう人を喜ばせるための」という言葉を前につけることで、自分に何を求められ、そのための引き出しをどう増やせばいいのか?を考えるきっかけにしている人は多いです。

さて、多くの人は「引き出しの多さ」の大切さに目をむけますが「引き出しの中身」については言及していません。それを今から説明していきます。

作曲の引き出しの増やし方について大切なこと

作曲において引き出しの多さ=作れる数の多さになることは間違いありません。しかし、大切なのは「その中身」です。この中身について多く語られない理由のは「引き出しを作ったことで中身も入っている」と勘違いしているからです。

引き出しを作った時点では中身は入っていません。では中身とは何でしょうか?手法やジャンルでしょうか?違います。それは引き出しのラベリングです。

ひきだしの中身はそれらをどう捉えているか?という視点、つまり「自分の言葉」です。引き出しの中にどれほど自分の言葉を入れることができるかというのがクリエイティブな視点といえます。

クリエイティブとは「何かすごいものを作り上げた(創造)」というアウトプットの文脈で語れることが多いのですが、インプットの時点でも創造のためのクリエイティブインプットがが大切です。

例えば「聴く」という行為はインプットです。ですがどうインプットするのかは人それぞれです。

これは数日前の記事でもお話しましたが「聞く」と「聴く」の違いです。多くの人は引き出しの数を増やすときに「聴いているようで聴いていない」状態です。「そんなことはないちゃんと聴いている!」思っている人はいるでしょう。おそらく「聴いているのかもしれません」ではどんな状態で聴いていますか?

多くの人がこの時「分析ベース」で聴いてるのでしょう。もちろんそれは目的あってのことなので間違いではありません。ではそれ以外にときに音楽の聴き方はもっと自然な聴き方になっていると思います。(仕事柄そういう聴き方をしてしまう人はいるでしょうが)

引き出しを増やす上で、大切なのは、分析ベースの聴き方と同時に感情ベースの聴き方をできるようになることです。

具体的に言うと音楽を聴いて涙してしまうという「心に受け入れる」という視点です。例えば青春時代に聴いたラブソングの感情はそのときでしか感じられません。何十年もたった今聞き直せば、その時の感情は思い出せるかもしれませんが、その時の温度感で心に受け入れることはできません。なぜならそのときにしか受け入れられなかったからです。

これは見方を変えれば「感情に働きかける音楽の捉え方」しているといえます。

引き出しの中身の本質

青春時代という多感な時期とは言い換えれば無限の可能性の中で自分の引き出しにラベリングをせずに、受け取った感情を片っ端から詰め込んでいる時期でもあります。なぜなら「理論より感情が先走る」からです。

音楽は聴くタイミングで姿を変えます。このタイミングとはその時の感情で聴いているということです。。楽しいときに楽しい音楽を聞きたいのはそういうことです。感情はその人の価値観を形成します。

感情は年月と経験によって形を変えます。それによって聴く音楽自体も変わってくることがあります。若い頃に楽しめなかった演歌の味がわかり始めるのもそういうことかもしれません(もちろん若い頃から演歌の楽しみ方を知っている人もいるかもしれませんが)好きだったジャンルが変わってしまう経験をしている人もいると思います。

つまり音楽は「その時々の自分の価値観で聴き受け入れる」ということだと言えます。

では改めて「作曲のため」の聴き方でこれらを考えてみます。この場合の聴き方は当然「作るための技術習得」が目的になります。しかし、手法を学ぶために聴くというスタンスの場合、多くの人が行き着く際は同じ場所に可能性が高いです。

なぜならばジャンルや作曲手法はすでに決まっています。ですが同じジャンルでも少しずつ違うものになるのは何故か?それが「自分の言葉」であるかどうかの違いです。「自分がどう思ったのか?」という主観です。

引き出しの中身について正直人に見せられるようなものではありません。思考のブラックボックスといえばかっこいいかもしれませんが、実際は整理整頓されているものではありません。創作とカオスが紙一重なのも「自分の言葉」であるためともいえます。

作曲の引き出しについて考えていたり迷っている人は、自分の言葉を引き出しの中にいれる意識をしましょう。

方法はシンプルに「私はこう感じた」でいいのです。

自分の言葉なので他人に通じることを前提とする必要はありません。それが世の中に通用するかしないかは関係ありません。自分の言葉が入った引き出しを作ることがクリエイティブな視点であるということをなんとなくも認識できればいいのです。

そこから大多数に届けるためには自分の言葉を明確に表現する必要とする技術を学べがいいのです。

語解がないように再度をお伝えしますが、音楽を分析するなという話ではありません。楽曲の研究や耳コピによって作曲の引き出しは増えます。ですが引き出しを増やしても中に何に入っているものは何か?その価値とは何か?という話です。

引き出しには好きだけが入るわけではない

好きだったら自然にできるようになるとよく言います。ですが本当に好きになったら見たくないものが見え始めます。もっとピュアに音楽を楽しんでいたときに気づきもしなかったものが見えるようになり、それがクリエイティブな視点を曇らせます。

「もっと楽しめるはずなのに」しかし、経験は喜怒哀楽によって価値を持ちます。楽しいことばかり見て私達は生きているわけではありません。

好きだからこそ好きを突き進めたからこそ好きの中に嫌いが見えます。でもそれは悪いことでしょうか?確かに辛さはあります。ですが、そこまでたどり着いたからこそより音楽の本質にたどり着いた。

そう思うことで引き出しの中に入ってほしくない「好きじゃない何か」が意味を持ちます。

引き出しの数は音楽経験だけでは得られない

「引き出しを増やすためにはいろんな経験をしろ」と言います。これはここまで読んだ人ならもう分かるかもしれませんが、その時々の経験によって作られた価値観が引き出しの中身になるからです。

音楽とだけ対峙し続ける人で引き出しの中身をすごいものにしてしまう人も世の中にはいます。ですが、その出来た人と自分を比べて切磋琢磨するきっかけになれればいいのですが、多くの人は、比較することに疲れて自分の言葉を引き出しにいれるのをやめてしまいます。

さいごに

音楽の引き出し、それはインプットによってラベリングされた引き出しの中にある自分の言葉をためてある場所です。誰でも自分の引き出しを増やし、そこにラベリングすることが可能ですがその中に入る言葉までどこかで拾ってきた言葉である必要はありませんし、あってはならないというのが私の自論です。

引き出しの外観は見栄えのよいものにするのは構いませんが、中身まで誰かの視線を意識する必要はありません。

自分の言葉をしっかりと引き出しにしまったあと、そこから求められる音楽性とバランスをどうとっていくか?これがクリエイティブな難しさでも楽しさです。

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