なぜ私の曲は正しく評価されないのか?と思ったときに読む本

この本は川上量生がスタジオ・ジブリで学んだ「コンテンツ」とは何か?をテーマに書かれています。このコンテンツという言葉をDTMerは「自分の作っている音楽」に置き換えることで、自分の作っているものを多角的に捉え「なぜ自分のコンテンツは受け入れられるのか?受け入れられないのか?」という答えを探し出すヒントになると思うので紹介したいと思います。 川上量生著「コンテンツの秘密」

コンテンツとは現実の模倣である

なぜ、人は現実を模倣するのかという疑問について「人は再現によって物事を楽しく学ぶ本能行為である」という説明がされています。音楽を「現実の模倣」と考えるのは例えば、音楽の中に物語を作り出し、歌詞というわかりやすい道標によって「愛がどーだの恋がどーだの」と現実を模倣していることになります。そしてこの模倣が多くの人と共感するものであればあなたの作った音楽は受け入れられやすいフォーマットであったと言えます。

音楽の情報量とは何か?

著書の中で「アニメの情報量とはなにか」という見出しですが、これを音楽におきかえて考えてみましょう。アニメの情報量は「絵の細かさ、線の数です」と鈴木敏夫プロデューサーは説明したうえで「ジブリの映画は情報量が多いから、一度見ただけじゃ理解できないので、なんども映画館に来てくれるし、何回、再放送しても視聴率が下がらない」と話されています。

これを音楽で考えたとき最近の曲は一昔前から比べるとトラック数にしても何百というトラックを使っているケースが多く見られます。つまり「情報量の多い音楽」ということになると思います。また「ジブリ作品が成功したのは情報量が多いから」という理由から他のアニメ会社も同じような手法に走り「情報量消耗戦」になっているとのこと。これもまったく同じことが音楽にいえると思います。この音楽の情報量が特に多いのがアニメソングだと思います。いわゆる「アニメの線の数」が多いほど情報量が多く、それがよりわかりやすい現実の模倣となり、多くの人が模倣レベルに共感を覚えるわけで、そのアニメの情報量に負けないためにアニメソングも情報過多になっていると考えるとわかりやすいのではないでしょうか?

しかし線が多ければよいものではなく、正しい線の多さをコントロールするのがプロの技術と言えるのではないでしょうか?

優れたDTMerはよりらしさを作れる

クオリティの高いピアノを使ったからと言ってその曲が必ずしも上手くいくわけではありません。なぜならコンテンツとして正しく機能しない可能性が高いからです。アイドルソングには30年以上前のシンセのピアノが使われていたりするのは「そのコンテンツを共通認識している手法」として確立されているからです。つまりDTMerにおいて音色とはリアルであればよいのではなくときに音程がずれたピアノであってもコンテンツに沿ったものであれば問題ないわけです。

大事なのは適材適所のセンスをもち、それが常に「コンテンツにそったもの」になっているかどうかを判断する能力でしょう。

コンテンツとは脳の中のイメージの再現である

さきほど「らしさ」の重要性についてお話しましたが、ではこのらしさをジャッジするのは誰か?というとプロであればプロデューサーになります。プロデューサーはこのらしさをもって売れる売れないの基準の1つにしていると思われます。そしてそのらしさはプロデューサーの頭にあります。優れたDTMerは脳のなかにある「らしさ=世界の特徴」を見つけ出し再現する人であり、そのセンスが世間が求めるコンテンツと近ければ近いほど「受け入れられやすいクリエイター」と言えます。

クリエイターとは

クリエイターとは脳のなかのイメージを再現する人である。そのクリエイターが創作で苦しいのは以下の3点であると説明しています。

  • 脳のなかのイメージを再現する技術的な難しさ
  • 脳のなかのイメージを見つける難しさ
  • 自分の脳にはないイメージをつくる難しさ

まったくDTMerにとっても同じことが当てはまります。そしてこの3点を回避してしまうということは平凡なクリエイターとして競争力を失うという見方ができるは簡単に理解できます。

さいごに

書籍の半分程度をDTMerという視点に置き換えて見ました。「なぜ自分の作った音楽は受け入れられないのだろう」と思っている人はコンテンツとして正しくその音楽が機能しているかを念頭におくことで、新しい価値観が備わり作る楽曲の質も変わってくると思います。

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