途中で逃げることは悪くないし辞めてもよい大切なのは「意味づけ」

一つ質問させてください「あなたは今まで一度も逃げたことはありませんか?」私は色々と逃げてきました。しかし、逃げとはどこからどこまでが逃げなのでしょうか?そもそも「逃げとは何でしょうか?」

会社は習い事をすぐに辞めてしまう。困難から逃げてしまう。これらは逃げでしょうか?私はそれらは逃げとは思いません。なぜか?その瞬間で判断した行動の良し悪しを逃げるという言葉で説明しようとすると、みんな逃げてばかりになります。

逃げとは「弱者の行動」みたいな根性論を持ち出す人もいますが、上司の愚痴を聞きたくないから聴かないフリをした小さい頃は嫌いな食べ物を残した。などなど大なり小なりみんな「逃げ」ています。

だから「逃げ」を悪いという価値観でみてしまうことには意味がありません。今日はその「逃げることは悪いこと」という価値観について私の見解を語ってみたいと思います。

何故逃げることは悪とされるのか?

始めたら最後までやる。これを美徳としているのが問題です。なぜならば「みんなそうしているから」というのがもっともな理由です。もし、みんなが嫌なことから逃げても問題ないとされている環境ならそもそも「逃げることは普通」とされるので問題視されません。「どこに逃げても必ず問題にはぶち当たるその度に逃げるのか?」このようなもっともらしい理由もその人の言葉ではなく「みんながそうだから」という理由でしかありません。さも正論を言っているように見えて実はそこにその人の言葉はなく多数の声を借りているだけの正直かなり身勝手な理屈です。

当然社会というコミュニティで生きていくわけですから、ある程度のルールを重んじる必要はあると思う人もいますが、そのルールでさえ突き詰めれば「みんながそうだから」という理由でしかなくそれ以上に突っ込もうものならば「めんどくさいやつ」と思われるだけです。続けることで得られる知識、経験があるのは事実です。今までわからなかったことも、辛かったことも続けてきたことである時から出来るようになるのもよくある話です。

しかしだからといって「逃げなかった方が正しい」という考えになるのは疑問です。なぜならば例えば会社で辞めるやめないを「上司と馬があわないから辞める」という考え方で辞めるとなると「何を甘ったれたことを言っている」と考える人は多いですが、その会社がそのさきずっと残っている保証はどこにもありません。やめてすぐに行動して次に転職した方がよいケースだって有りえます。

というのも以前私が努めていた会社は私がやめたあと4年位でなくなりました。一時期はゲーム会社として大きく注目された会社でもありました。しかし、何億という負債を抱えて潰れました。「それは稀なケースだ」と人もいるかもしれませんが、自分の人生の舵取りは自分でしか出来ません。それは親であっても出来ないことです。そもそも、自分の人生の責任は自分にしか追うことができません。

つまり、結果的にやめてよかったかどうかは、その後の人生を振り返ったときによかったと思うのか悪かったと思うのか「意味づけ」によって価値が変わります。だから、「自分の行動が逃げかどうか」はその瞬間の社会的な声にはまったく意味がありません。

三日坊主上等

視点は変わりますが例えば私はDTM(作曲)をしていますが、始めた当初(高校生)のときは一年で一曲くらいのペースでしか作れませんでした。当然「やるぞ」と決め手も三日坊主、ぐだぐだやっていてやっとできたのが1年後みたいな感じです。しかし、振り返ってみれば20年以上続けていまし、お仕事と呼べる作編曲もやってきました。高校生のときに「もっと真剣にやっていれば」「もっとがむしゃらになれれば」と思わなかった日がなかったと言えば嘘になりますが、結果から振り返って今の私は私のペースでDTMをやっていて幸せだったとは思いますしこれからも幸せで有り続ける自信もあります。

もしがむしゃらになって誰か怖い人にでも習っていたら音楽自体を嫌いになっていたかもしれません。

教室に通うも長続きしないのは逃げ?

初めて通った音楽スクールはヤマハのポピュラーミュージックスクール(PMS)のキーボード教室でした。そこは高校1年〜3年まで通い続けましたが、楽譜が読めない私にいきなり「今日はこれを弾きます」と言われても当然できるわけもなく、ひたすら音色ばっかり作って遊んでいました。進学を考え一度だけピアノの先生に習おうと思ったときもありましたが、まったく基礎の基礎もできていなくて、先生に「あなたはここに来るべき人ではないわね」と言われ体験教室をして終わりました。

そのあと、もいくつか習い事やセミナーなどを受けましたが、正直1年で終わっています。それも途中くらいでだんだん飽きてくるんです。「逃げるなよ」「目標もってやってんのになんでいま投げ出すの?」という言葉を何度言われたかわかりませんが、逃げるどうのより「面白みを感じない」ようになってはそこに通う意味が見いだせなくなります。

はたから見れば「甘い」の一言です。ですが、その甘いかどうかは自分の価値観であって、他人がどうこう言うものではありません。「目標に向かって進もうが進むまいと」たどり着くのはどこでもいい。そこから見える景色がその人のとって良いか悪いかだけの判断でしかないということです。

だから3日坊主であっても私は「すぐに辞める悪い」とは思いません。そもそも世の中の多くの人は3日坊主すらしない挑戦しない人の集まりです。なのに行動起こす人にはとりあえず「やめておけ」とさも健全なアドバイスをしたつもりになります。これは自分より上に行かれるのが快く思えないからこそ「やめておけ」と同じフィールド内にその人を置こうとするからです。

3日坊主でもやってみて合わないならやめればいいし、3日後にまた始めたくなれば始めればいいだけの話です。「そんなことを言っている年月だけが過ぎて中身がない人間になる」と思う人もいます。「中身」とはその人の主観でしかありません。何度も言いますが、その中身すら、どこかで振り返ったときの「意味づけ」でしかありません。

「意味づけ」がネガティブなものであると、自分を卑下するだけになりますが、やめたことを後悔する必要はありません。始めたいならまた始めればいいだけの話だけです。やめたら二度とやってはいけないなんてルールはありませんから、

おまえたのためにやっているんだから…

習い事かセミナーかわかりませんが、熱い講師の人の「これはお前のためにやっているんだぞ」「二人三脚でやっているんだからがんばれよ」という言葉を前にしたときにそこから逃げるのは何か申し訳がない気持ちになるかもしれません。たしかにその人の人生の一部の時間をもらっているわけですから、そのような気持ちになるのはわからなくはないですが、その人の時間に意味が見いだせないのならばさっさと辞めるべきです。

「相手に悪い」と思う必要もありません。あなたが辞めることでその人は自分にとってもっと有意義な時間の過ごし方ができるようになるかもしれません。そもそも「お前のために」に価値を置く必要はありません。旗から見た「甘え」「やる気がない」であってもあなたにとってその時間は価値のない時間です。相手の価値で生きるのは身勝手で生き方です。なぜならば自分の生き方に責任をを追う必要がないからです。

「相手の言う通りやったから上手く言った行かなかった」はあなたは自分で選択していないわけですから「言ったとおりにやったのに」すぐに責任転嫁できてしまうからです。

さいごに

逃げることは悪くないです。途中でやめてもOKです。ただ振り返ったときに「グチグチ」というのだけはやめましょう。それを選んだのは自分なのですから、何か行動をしたときは思い切りその瞬間を楽しめばいいだけの話です。周りの無責任な言葉に振り回されずに、自分が信じた道を行けばきっと振り返ったときに楽しかったと思えるときがくると思います。

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