新しい事に挑戦する人はたった2つの考えを覚えるだけで失敗しない

挑戦を恐れるのは失敗による自信の喪失と思っていませんか。「○○もやったのに無駄になった」この喪失感がたまらなく怖い。しかし、挑戦して失敗になったのは本当に無駄でしょうか?失敗を続けた人は本当に無駄な人生を送っていると言えるでしょうか?

そんなことはありません。今の世の中で一番求められるのは「失敗」です。なぜならば「失敗=挑戦」そのプロセスにはとてつもない価値があるからです。どういうことかというと挑戦し続ければ結果が出ます。その結果までの道のりは誰かに感動を与えます。映画やドラマなどプロが作り込んだ脚本よりはるかに感動できます。ネットであらゆる情報が手に入る時代で人が求めているの成功の裏に見えるストーリーです。

そのストーリーとは何も苦労せずにうまく言った話ではなく苦労のうえに手に入れた成功であり、その話をみて「私もできそう」と思わせてくれるものこそが今求められています。

つまり誰かの背中を強く押せる応援行為です。

私も色々と失敗してきましたが、以下の記事はかなり大きい失敗でした。しかし今となっては確実な財産です。なぜか?失敗とは挑戦しない限り得られない経験だからです。どんなに成功本をたくさん読んでも、どんなにたくさんの成功者の話を聞こうと、自らの体験以上に貴重なものはありません。

そして面白いことに失敗は人に安心感を与えます。なぜなら「誰しも失敗したくない」と思っているからこそ誰かの失敗には安堵するのです。「あなたも失敗するんですね」…と

恥は書き捨てではありませんが、人生において失敗こそは最強のコンテンツです。人に安心感を与えてそしてブロガーならネタにもなる。

これを得られるのはずばり「挑戦」だけです。

裸(失敗をさらけ出す)は恥ずかしい

1年で200曲作ってオーディションに送るも評価されない生活を2年くらい続けた結果

上記の体験は当時の見方では失敗です。落ちまくった当時はその事実を明るく振る舞いながらも受け流すようにしていましたが、全然相手にしてもらえないことについて心の奥底では「惨めだなー」とか「情けないなー」とか思っていました。

私はおちゃらけた性格ゆえにどちらかといえばムードメーカー的な立ち振舞をしてきたので、多少人から馬鹿にされたような笑いを集めることには抵抗はありませんしかし心の中では人から「すごい」と思われたいという気持ちも人並みにありました。

だから自分の失敗と思っていることを冷静に書き出すにはかなり恥ずかしい気持ちになりましたが、いざ冷静に書いてみると「客観的」な自分がそこにいることがわかりその経験から同じようにならないための視点を学べました。

失敗を公開する勇気

1年で200曲作ってオーディションに送るも評価されない生活を2年くらい続けた結果というのはそれだけやっても何も得られなかったという事実の公開です。それを書いて「どうするの?」と自分で思ったりもしましたが、動機としては「ブログの記事数を稼ぎたい」というものすごく不順なもの「恥晒してブログの記事数稼ぐ」ってどれだけMなのか!って感じですw公開した瞬間は「すっぽんぽん」になって街中歩いている感じ

恥の公然わいせつ罪むしろお願い誰か捕まえて!って感じですw

「もう自分のアホな夢を人前にさらけだしちゃったら恥ずかしいものなんかないんじゃない?」これは悪魔の声なのか天使の声なのかwこの恥ずかしさ例えるなら彼女のために作ったラブソングを駅前で「これ俺が彼女のために作った究極のラブソング聴いてください「フォーエバーラブ!」みたいな感じです。

頭から火ふきますってw

何かが良い意味で壊れました。そのおかげで自分のバカな部分を掘り起こしてそれを見つめることで自分の人間性と向かい合えるようになりました。

思っても見なかった反応

[1年で200曲作ってオーディションに送るも評価されない生活を2年くらい続けた結果]を読んでくれたたくさんの人から「勇気がわきました」というこメッセージをいただきました。驚きました。なぜ勇気がわくのか???しばらく考えたのち「失敗しても続ける人間の姿は面白い」「失敗って誰かの背中おせる」のではないかということ。

わかりやすくいうとホリエモンさんが捕まって刑務所に入った。そこでの経験は立派なコンテンツとして今でも機能しているしホリエモンさんの魅力の一つにもなってますよね。これと似たもんだと思うんです。ホリエモンさんの場合は行動することで出てくる結果の質も量も桁違いなのがすごいわけですが…

ちょっと前まで結果も出せない失敗した人間がえらそーに語るなんて何いってんだよ!って思いましたが違いました。そもそも何をもって結果とするかは人それぞれです。たしかにその結果が社会的に認知されやすものかどうかで評価は変わるかもしれませんが、社会の評価なんて合ってないようなものです。

なぜならば、普通の人と思っている人でも何かしらをきっかけに大きく注目されるようになります。それがムーブメントならば一過性で終わります。だから絶対的な社会の評価というものさしはまったく必要ありません。

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失敗でさらす恥なんて一時的なもの。この言葉よく聴いていましたが、やっと理解できました。だから、これからもアホな挑戦はしたいし、死ぬまで失敗続けてやろうと思いました。そしてまだまだ書いていない失敗談もあるので、それもいっぱい書いてみようと思いました。

失敗経験はデカさではなく解釈

こういう失敗談って結構How to本とかでは当たり前のように書かれてたりするんですよね。でもそういうところの失敗談って「私はそんな経験していないからなー」とか思ってたんですが、失敗はデカさではなく、本人がそれをどう解釈しているかっていうところが重要なのではと思います。

例えば

「DTMセット始めるのにバイトをしまくって20万円でフルセット揃えたけど1年経っても一曲もできなかったけど、3年続けたら一年に10曲かけるようになった」という結果を持っている人は一曲もかけずにもがいている人には十分刺さる成果だと思うんです。だってDTMはじめたけど一曲も書けない人の方は結構いるんですから、

それは少ない人にしか刺さらないかもしれませんが、きっと誰かには刺さる。そう思える(信じられる)かどうかだと思います。

私はどのブログも誰か1人でもいいから刺さる!という気持ちを信じて書いています。でも、自分の自信のなかったことがこれほど刺さるとは思っていませんんでした。今、DTMブログやどんなブログでもいいです、一番刺さるコンテンツは失敗コンテンツです。それも客観的にみて「アホっぽいな」と思えれば思えるほどいいのではないかと思います。

さいごに

失敗は怖いです。怖いですがそのあとに得られるものの大きさは思っている以上に大きくそれが人生を大きくかえる可能性を秘めています。「やってみたいけどなんか怖い…」怖いと思うということはそれだけ得られるものの大きさに無意識に踊ろていると思えば、最初の一歩を踏み出す勇気少しだけわいてくると思います。ª

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