DTMer皆で考える作曲のための良い音、悪い音、普通の音の捉え方

作曲をしていると「なんか良い音だなー」と思うこともあれば「めっちゃ音が悪いなー」と思うこもあり「なんか普通の音すぎる」ということに悩むこともあると思います。果たして「良い音、悪い音、普通の音」とは何をさしているのでしょうか? これをDTMerみんなで考えることで、音への理解が深まり、よりクリエイティブな視点を持つことができます。

良い音とは?

まず社会通念としての「良い」という定義を明確にするところから考えます。良いとは主に次の2点です。

  • 「物事が他よりまさった状態にある。
  • 「性質や事物の状態などが水準を超えている」

どちらも何かと比較したうえで成り立つのが「良い」という状態です。作曲をするうえでの良い音とは基準となった音を超えた状態にあると言えます。

音響機器メーカーのSHUREは次のような定義を持っています。

ライブパフォーマンスの多くの課題は主に、忠実度、明瞭度、音の大きさ、の3つが関わります。これらの音質の基本尺度がひとつでも適切でないと、完璧を目指して苦労して生み出した音楽を聴衆に確かに届けることができません

https://www.shure.com/ja-JP/performance-production/louder/what-is-good-sound

  • 忠実度 原音より忠実であるかどうか
  • 明瞭度 常に聞き取りやすい音かどうか
  • 音量  音の大きさが適切かどうか

録音と作曲では若干意味は違いますが、これらも比較のうえで成り立っているのか理解できると思います。何をもって良い音とするのかというのは経験によってかわってきますが。その判断能力の意識の有無は大きく影響します。

音の情報量が多いのは良い音か?

オーディオ世界では良い音は「まるで目の前に奏者がいるようだ」という表現を使うことが多いです。これは生の音と比較したうえでスピーカーから出てくる音にリアルな情報量を感じたときに出てくる表現です。

では、作曲の世界でも音の情報量の多さ=良い音と考えてよいのでしょうか?

ハイレゾは良い音か?

44.1kHzのピアノの音と192kHzで録音されたピアノの音、どちらが良い音でしょうか?

定義上で言えば44.1kHzの音より192kHzの音の方が音の情報量は多いです。当然そこには比較が成り立つので、「192kHzの方が音が良い」という事実は生まれますが、しかし、その音色を使ってどういう音楽を作るのか?という目的がない状態でハイレゾの音を使う意図はあるのでしょうか?

ここで作曲家にとっての良い音とは次の2点を示したものとして考えてみます。

  • 「インスピレーションを刺激する音」
  • 「従来の作曲には満足感が得られた」

つまりこの結論から考えてハイレゾフォーマットでが「インスピレーションを刺激する音」「それらを使って作った音楽で作より満足のいくものができた」という結論を導き出せるのであればそれは作曲家にとって良い音と言えます。

しかし、それを認識できない場合はハイレゾフォーマットに「良い音」という認識を持つ必要はありませんし、それが認識できないからといって「優劣」を感じる必要もありません。

ハイレゾという高解像度のフォーマットをどう使うか?というあくまで主観的な話です。

良い音とは音がもつ役割が明確である

ピアノであれベースであれ、なぜその音が使われたのか?という音色の役割は大事です。例えば、誰が聴いてもクオリティの高い音源を使えば当然、音の印象はよくなりますが、楽曲においてその役割が合っていないと音には説得力が生まれません。この説得力とは

デートで「ラーメンな気分なのに」イタリア料理のお店に連れて行かれても少し困惑してしまう気分と似ています。

つまり、その状況(ジャンル)に応じた音色には「それをよりわかりやすく演出できる役割」があるということです。その音の役割を無視してしまうと、どれだけ良い音であっても意図が伝わらないことになります。

景色が見える音とは?

音の良さを表現する言葉に「景色が見える音」というのがあります。多くの人は倍音が多い音に「景色感」を見出します。確かに倍音が多ければ音の情報量が増えるので空間を認識しやすい要素になります。

では倍音がないサイン波で作られた音には景色感はないのでしょうか?そんなことはありません。広がらないからこそ見える「閉塞感」という景色を見ることができます。その閉塞感にどういう景色を与えるかがクリエイティブな思考とも言えます。

良い音を良い音として存在させ続けられるかどうか?

作曲をするうえで良い音は「インスピレーションを刺激する音」「従来の作曲には満足感が得られた」という前程で考えたときに、その音が最後まで良い音であ理続けることができるか?というのが難しい問題です。

インスピレーションを刺激した「良い音」も作曲のプロセスにおいてはそれが良くない音になっていく可能性があります。「単体で聴いている分によかったけど、ミックスしたら悪くなった」という経験がまさにそれです。

では何故「良い音」が変わっていくのでしょうか?これは「良い音」の優先順位を考えていないから起きる問題です。言葉で説明するのは簡単ですがその難しさについては多くの人が痛感していることでしょう。

しかし、もし良い音を認識、それを使って作曲をするのであれば常にその良い音を柱にすることで「インスピレーションを刺激された」フレッシュな間隔は保つことができます。

悪い音について

良いものがあれば悪いものもあります。悪いとは端的に言ってよい状態と対立する状態です。しかし言葉の響きから「悪い音」が「完全悪」という考え方にする必要はありません。

良い音の定義から反対に考えると次の2点になります。

  • 「インスピレーションを刺激しない音」
  • 「従来の音楽にはない満足感が得られなかった」

ガラスに爪を立てた音やあきらかに生理的嫌悪感を誘発するような音を使って音楽を作らない限り。「悪い音」の捉え方は「良い音」以上にアバウトな世界かもしれません。

例えばボーカルを録音したときにデジタルクリップで歪んだ音はアナログサチュレーションに比べて心地よい音とは言えません。一般的には「悪い音」と認識できると思いますが、その音を使って作曲できるのであればその人にとっては「悪い音」ではありません。

また、シンセベルなどの金属音で高音域が出すぎている音は耳障りな音と感じますが、「どこまで高音域が出ていれば耳障りなのか」は経験とそれを認識するセンスによるところが大きいです。

ギターの音抜けが悪い人がエキサイターなどを使ったら音抜けがよくなった「音が良い」と感じる人がいますが、知識と経験を重ねていくとことで、それまでよかった音が悪く感じるようになることを経験した人は多いと思います。

インスピレーションを刺激しないというのは「その音使うことで迷ってしまう」ということになります。ですが、その迷いはその音のせいなのか、それとも自分の知識不足からくるものどちらでしょうか?昔は嫌いだったシンセの音が「良い音」として感じられるようになったのは、その音の持つ個性を理解できたからではないでしょうか?

つまり悪いという認識は現状の知識不足からくる「決めつけの可能性」があるのでは考えられます。我々は「良い」と思うものには疑いを持ちませんが悪いと思うものに関してははどこまでもその悪さを肯定する情報を探し自分に言い聞かせる身勝手な思考を常に持ち合わせています。

良い音を認識するための方法として「悪い音」と思い込んでいる理由を明確にし、それが反対であれば主観的ではありますが「良い音」を見つけられます。作曲というクリエイティブな世界においては、そのような考え方について客観的な視点を持ち合わせる勇気はもっておきたいですよね。

言ってしまえば良い音も悪い音も表裏一体の関係であると言えます。

そして、その関係が入れかわる理由は主観による選び方をした結果、リスナーに対してその音色が心地よいかどうか?という客観的な視点が偏ったときに、良い音は悪い音に変わってしまいます。

また、悪い音であっても良い音とのバランスがとれたときにはお互いがリスペクトしあえる関係になるので、「悪い音」は存在自体が許されないと考える必要はありません。

普通の音について

普通とは次のような意味です。

いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

ちなみに普通の反対は「希少、奇抜、特別、異常」という言葉になります。これらから普通を見直すと普通とは「無個性」という意味合いで認識されてしまう事が多く「普通=良くない」と捉えてしまいがちですが、そうではありません。

希少ばかりだとそこに希少価値はなくなります。特別も特別な人ばかりだと特別ではありません。普通の中にあるからこその「特異性」が存在できます。つまり我々が目指すべき良い音のゴールは「普通」であるということになります。普通であるからこそ、その中で「特別」の存在が目立つわけです。

そこには良い音もあり、多少悪い音があり、その上で普通の音もある。これらのバランスが整ったときに「普通の中に個性が生まれます」

ちなみに少し話はそれますが、この普通の音、シンセやDAWの中でよく目にしているものだったりします。それがプリセットです。

プリセットとは「Pre Set」前もって準備しておくという意味です。では何を準備するのかというと「幅をもたせた普通の音の設定」になります。例えば、イコライザーやコンププリセットも「Rock」や「EDM」というカテゴリが存在するのは普通になる「大きくハズレないように」するためでもあります。

プリセットを使うことの良し悪しが問われることがありますが、その方法を選んでそれがリスナーにとって「普通」になるのであれば。それが一番良いわけです。プロの人がプリセットを使っても無個性にならいのはこのプリセットサウンドの役割を作り上げることができるからです。

アマチュアがプリセットを使うと垢抜けないのは音同士の役割を考えることをやめてしまうからです。プリセットはゴールではなく、あくまできっかけでしかありません。普通の音から脱線しないための存在として考えると、プリセットの意図から学べるものもは多いです。

さいごに

普通の音を作りましょう。こんなことを言われたら「個性がない音楽出来上がる」と思い込んでいた過去の私です。しかし、それが逆で普通であるからこそ、特異な存在が許される。ということが気づいたときに、より普通な音への探究心が芽生えました。

普通であることは何も劣っているわけではありません。普通であるからこそ伝わります。そしてそれが人の心を打ちます。