演奏もできない譜面も読めない耳コピもできない私が

作曲家になりたいと言ったら

家族に反対されたのは20歳の頃だった。

それでもやってみたかった。

 

でもそう簡単にはうまくいかない

年間に何百と曲を書いてそれらをオーディションに

送ってもすべて駄目だった。

 

そんな生活が数年続いたとき祖父が倒れた

事実上フリーターの私が介護することになった。

それでも時間を見つけたは作曲を続けた。

 

それでも芽がでることがなく、いつしか辞めるタイミングを探しはじめていたある日

音楽の神様はいた

30歳の頃 ゲーム会社のサウンドクリエイターの募集を

見つけ応募したら合格した。

 

祖父も日常生活はできるようになった。

しかし入社して2年 祖母が痴呆症を患いそのストレルで

祖父がストレスで感情のコントロールができなくなった。

再度私が介護することになり会社を辞めた。

 

以前より足腰が弱くなっていたので、立つのが難しくなり始めていた。

以前より重労働介護生活が始まる。

それでも音楽は続けた

 

作曲のためにパソコンにスイッチを入れる。

起動音がなった瞬間に祖父からの電話がなる。

夜中に10分おきに電話で呼び出されるのが日常になった。

 

昼は母が夜は私が祖父母の介護をする生活が一年続いたある日

母が倒れた

脳幹出血だった。

私は母と祖父母と三人の介護をすることになった。

母は日常生活を送ることができない身体になった。

それでも音楽を続けた。

 

そして、10年という時間が過ぎた。その間に祖父母は他界し母の介護は

家族で今も続いている。私は結婚し、子供にも恵まれた。

そして、主夫という生き方をしながら続けていた音楽が少しずつ仕事につながりはじめた。

諦めなくてよかった。

才能なんかなかった。

 

でも

ただ続けた。

それだけだった。

20年間という時間で得た経験は必ず誰かの約にたつ!

そう思い音楽講師もはじめた。

理論やテクニックを教える講師じゃない

生き方を音楽で表現する講師だ。

介護も

主夫も

音楽も

 

すべてに愛がある

そしてそれらを受け入れた私は

かっこいいと思えるようになった。

このサイトはそうやって生まれました。